沖縄について

県知事選挙が終わった沖縄についていくつか語りたい事があります
 
多くの日本人は、沖縄の事についてよく解っていないのではないかと思います。
沖縄出身でも何でもない私も例外ではありませんが、少しは勉強しました。
 
例えば、今回の県知事選挙や、その前哨戦とされた名護市長選挙で必ず言われたのが、
 
『若者は自民党推薦候補に一票を投じている』
 
『若者はインターネットなどで自分で調べる事ができるから』
 
『新聞、テレビに騙されている"情弱"だけが左翼候補を応援している』
 
という主張です。
 
 
例えば名護市長選挙に関してこのような頓珍漢な分析を行ったツイートもあります。
1人この人に限らず、世代で分けて、
「インターネット世代」と「情弱世代」に分けて考える人は結構居ります。
 
見る人が見れば、この人たちはまともに沖縄の近現代史を勉強した事が無いのが解ります。
 
沖縄は1970年代の初頭まで「日本統治下」に在りませんでした。
 
日本がポツダム宣言を受諾した時点で、既に沖縄を日本は失っており、
沖縄はGHQ統治下に置かれた日本本土と「別の歴史」を強制されたのです。
それは凶悪な「軍政統治」でした。
GHQにも様々な問題点は有りましたが、
同時期の沖縄軍政統治と比べると天と地ほどの差が有ります。
 
まず第一に、軍政統治とはアメリカの軍隊が直接統治する体制です。
GHQ文民も混ぜていましたのでそこが大違いです。
軍隊は統治の専門家ではありませんので、当然様々な問題が有りました。
 
第二に、沖縄の支配者となった米軍は、
沖縄県民の人権を全否定しました。
米軍が沖縄県民を車ではねようが、強姦しようが無罪放免という恐るべき社会だったのです。
 
 
残酷な画像ですので引用は一枚に留めておきますが、
彼らは犯罪を起こしても何ら反省せずヘラヘラ笑っていた写真がいくつも残されております。
 
また、沖縄には米軍基地が集中している事は有名な話ですが、
その大半は、沖縄県民の同意も契約も無しに、強制的に土地を囲って建設した物です。
沖縄戦の真っ最中に建設され、「日本攻撃の為に」
作られた普天間基地や嘉手納基地も例外ではありません。
 
無論、「戦後」に建設された米軍基地の大半も同様です。
朝目覚めたら、または仕事から帰ってきたら、
自分の家が、農地が米軍に強制的に没収されていた…
これが米軍統治下の「沖縄」です。
早い話、沖縄では「戦後」なんて物は存在しなかったのです。
 
そもそも「軍政統治」と言うのは、
 
「戦時下に」「占領された敵領土に」
 
対して行われる物です。
アメリカは、沖縄に対しては返還される1972年(昭和47年)まで、「敵国」扱いとして「軍隊が」統治していたのでした。
 
 
同じく日本統治下からアメリカが占領していったパラオマリアナ諸島は、
「国連信託統治領」として「高等弁務官」という「文官が」派遣されておりました。
まるで沖縄の扱いと違うのです。
 
日本人は、沖縄がこのような差別的取り扱いを受けていた過去を知らねばならないと思います。
 
更に、アメリカ人は沖縄の伝統文化に全く興味を示さず、
徹底的に破壊する方針を示したのでした。
 
『さらに戦後の1951年、追い打ちをかけるように那覇の辻原墓地、若狭町の広大な墓地群が米軍の軍命により撤去・区画整理されてしまい
このとき亀甲墓を含む多くの墓が失われてしまった。』
 
沖縄の伝統である「亀甲墓」の多くを破壊したのは沖縄戦と、戦後の米軍です。
 
 
沖縄を代表する建物である「首里城」など、
米軍によって跡形もなく破壊され、琉球大学が置かれておりました
 
米軍統治下の沖縄では、一応形だけでも選挙をやっておりましたが、
米軍統治に都合が悪い人間の被選挙権や言論の自由は剥奪しておりました。
 
 
沖縄の「保守」と言うのは、このアメリカによる酷すぎる統治を謳歌し、賛美していた、
日本から見れば「売国奴」以外の何者でもない連中の事でした。
日本本土復帰運動にすら反対していたのが沖縄の「保守」です。
 
さて、世代の話に戻ります。
現在六十歳以上の世代というのは、
「46年前」の沖縄の日本復帰の時点で物心ついており、
自由も人権もゼロだったアメリカによる米軍統治を、
その目で、その肌で体験していた世代の事です。
そんな彼らが、自由や人権を抑圧していた米軍に好感を持つはずがない。
 
「世代」を語るのであるなら、まず何を差し置いても、
 
『46年前まで沖縄は日本統治下ではなかった』
 
『米軍の統治下では、沖縄県民の自由と人権は皆無だった』
 
という事実は知らねばなりません。
 
最後になりますが、日本の「自称保守」の中には、
 
沖縄県民は、中国を利する独立論を主張していてケシカラン!」
 
と憤慨する向きも有ります。
 
しかしながら、そもそも沖縄県民に独立論を植え付けたのは「米軍統治時代」です。
アメリカは、元々日本に沖縄を返還する意思など無く、
沖縄を傀儡国家として独立させたかったのです。
そこで、アメリカの統治下では盛んに、
 
沖縄県民と日本人は違う!」
 
沖縄県民は百年前まで独立国家だった!」
 
「日本が無理やり侵略したのだ!」
 
プロパガンダを垂れ流し、学校教育でも植え付けました。
 
『1952年(昭和27年)までの群島政府には民選の知事がおり、しばしば米国民政府の意向に反する言動(日本への復帰要求など)を行ったため、米国民政府は自らが指名する琉球住民を行政主席とする琉球政府つくった。
この政府には、民裁判所、立法院、行政府があり、三権を司ったが、米国民政府が琉球政府の決定を破棄できるという条件に変わりはなかった。
しかし、立法院議員は民選であったので、立法院はしばしば米国民政府の意向に反する決議を行った。
そのため、アメリカはゲリマンダーや選挙干渉で自分の都合の良いようにした。』
 
アメリカの統治下で作られた公立の建物には、
「沖縄」ではなく「琉球」の文字が使われました。
 
琉球政府(Government of the Ryukyu Islands)
琉球民主党(現在の沖縄自民党)
琉球国民党(反共を掲げるが本土復帰に反対した政党)
琉球新報(元々は在日米軍の機関紙だった)
琉球電信電話公社(現在のKDDI)
琉球水道公社
琉球薬局方
 
もしも日本の「自称保守」が琉球独立論に怒るのであるならば、
その思想を普及したアメリカに怒るべきであると訴えます。
 
誠眞政治政策研究会 玉川 晃嗣