理想的な経済体制は国によって異なる

最近、「小さな政府」とか「新自由主義」「自己責任」であるとか様々な話を聞くようになりました。
構造改革」と称して、日本をアメリカのような弱肉強食の物凄い格差社会の国に 作り変えるようとする動きも見られます。
 
しかしここで考えねばなりません。
 
「理想的な経済政策」というのは、それぞれの国によって異なるのだということを。アメリカにとって理想的な経済政策であったとしても、日本にとっては非常に迷惑な経済政策もあります。
 
当たり前ですが、中国にとって理想的な経済体制であっても、これまた日本に無批判に導入すれば害悪になる可能性は大いにあります。
 
ここ最近叫ばれている、
 
構造改革」(構造改革は手段でしかないはずなのに、そのものが目的であるかのような人々)
 
「小さな政府」(その究極の理想像は警察と軍隊以外の民営化)
 
「自己責任」(政治家や官僚は政策の失敗の責任を負わない)
 
新自由主義」(「新」とは付くものの、その実態は産業革命頃の労働基準法すら存在しない時代を理想 とした古典派経済学)
 
これらの経済政策は大変大きな問題です。
 
一つ考えてみましょう。
 
日本とアメリカとでは国の成り立ち、国民性、そして何よりも国の置かれてる環境、国際情勢が全く異なります。
 
アメリカの場合、「隣国」と呼ばれる勢力は三つしかありません。
 
北はカナダ、南はメキシコ、そしてキューバですが、
この中でアメリカが対立しているのはキューバのみです。
 
しかも最近は、キューバの独裁者だったカストロが亡くなってからは関係改善も進んでるように見受けられます。
 
また、そもそも「対立している」と言っても、
1962年のキューバ危機の一瞬を除いて、アメリカにとって歯牙にもかける必要性の無い存在でしか無かったのですが。
 
一方、日本の置かれた国際環境はどうでしょう。
日本の隣国には、中国、韓国、北朝鮮、ロシア、台湾が存在します。
ここにアメリカも付け加えていいと思われますが、これらの国々と日本は必ずしもうまくいってるわけではありません
 
ロシアや中国など、国民性が「侵略大好き」と言っても良いような国柄ですし、
北朝鮮拉致事件があったり、核実験を繰り返したりしている恐ろしい国です。
韓国は韓国で、日本固有の領土である竹島を侵略し、対馬を狙い、文化遺産は強盗するという国です。
 
台湾の事が好きな日本人は多いのですが、尖閣諸島問題に於いては日本と対立する間柄ですし、台湾内部には中国と一体化して日本を非難する勢力もあったり、必ずしも信用が置ける訳ではありません。
 
そもそも、
「民主主義」
これらの価値観が共通していない、共通の理解が日本の周辺諸国にはありません。
 
北朝鮮ですら、自分の事を「民主主義」の国であると思ってるのですから。
 
何故こんな状態で、日本がアメリカをモデルとして国家や経済体制を作り変えなければならないのか。
アメリカ流の経済政策を行わなければならないのか。これが私に大いに疑問です。
 
いくら軍事同盟を結んでると言っても、政治・経済に干渉されなければならない、
または真似しなければならない謂れはありません。
 
「小さな政府」というのは、究極的には「夜警国家」となります。
つまり警察と軍隊、この2種類だけ政府はやっていればいいという、そういう体制になります。
しかし日本を取り巻く国際環境、国内情勢から考えれば、今の日本政府がやらねばならないような仕事というのは、明らかに警察と軍隊だけで済むような状態ではありません。
 
日本は毎年のように地震が起こり、台風がやって来て洪水が起こったりする災害大国です。
常に災害に備えて準備を整えておく必要があります。
 
また、中国、ロシア、北朝鮮の核に備え、日本全国、どんな小さな離島であっても対策を整えておく必要もあります。
 
日本政府は全力で国力を戦争と災害に備えて準備を整えねばなりません。
この2つは、日本がどんなに避けたいと思ったところで、否応なしに向こうからやって来るものですから。そして、そんな事が日本全国に渡って遂行出来るのは、日本政府以外にありません。
 
従って、日本に於いて「小さな政府」など百害あって一利なし。
 
福祉も、教育も、農業も、経済も、工業も、商業も何もかも、戦争と災害に備えて国が保護すべきであると私は主張します。
 
この事を「社会主義」と嘲笑し批判する人間は居るでしょう。
 
しかしならば言いたい。
 
日本のおかれた国内・国際環境を無視して、外国流のやり方を安直に当てはめれば日本は百年安泰なのかと。もっと日本の置かれた状況に相応しい政策を行うべきです。
 
明治時代、日本の近代化を主張した福沢諭吉という人物が居ました。
しかしながら、福沢諭吉は単なる欧米の猿真似は嫌っており、そのような日本人は心底から軽蔑していました。欧米のやり方を採り入れるのは、あくまでも日本の「自主独立」の為であって、それ以外の何物でもないからです。
 
福沢諭吉は「日本的な価値」とか、「武士道教育」を高く評価し、自分自身も生涯「武士」である事に誇りを持ち続けていました。福沢諭吉は決して書斎に籠った青瓢箪タイプの学者ではなく、居合道の達人であり、居合道の稽古のやりすぎで寿命を縮めたと言われたほどです。
 
また、将来的には必ず欧米との衝突が起こるとも予見していました。
もしも欧米と日本が衝突した時、欧米の側に一日の長がある欧米の価値観ではなく、
「日本的」な価値観こそが日本人にとって武器になると考えたのです。
 
その国、その国が置かれた状況を完全に無視して世界を画一化しようとする動きに対して断固反対する勢力が日本に不可欠です。
 
私はそれを桜井誠党首率いる日本第一党に期待します。
 
誠眞政治政策研究会 玉川 晃嗣