「文民統制」について

戦前、「軍部が暴走した」とされる理由として挙げられる事の多い「統帥権の独立」について書こうと思います。
戦後はこの反省に立って「文民統制」とされました。
 
しかし、この戦後の「文民統制」とは、明らかに異常としか思えないレベルに達しています。
例えば民主党政権時代の防衛大臣だった「一川保夫はこんな事を述べています。
 
『私は防衛とか安全保障について素人だ。しかし素人が自衛隊を指揮する事こそがシビリアン・コントロールだ』
 
このようにとんでもなく恐ろしい事を語っています。
いざ戦争となった時、自衛隊のトップは全く防衛や安全保障の門外漢だと言うのです。
「軍部の暴走」に恐れを感じる人々が、
「ド素人の暴走」に全く恐れを感じないのが不思議で堪りません。
 
そしてこれは民主党政権時代だけの出来事ではなく、
自民党ですらもド素人を防衛大臣に任命している時点で同罪です。
 
例えば去年の7月末まで防衛大臣をやっていた「稲田朋美が例に挙げられます。
 
稲田朋美の全人生の中で、自衛隊防衛省と関わりがあった事は、
防衛大臣就任以前には一度も無かった」
はずなのですが、こんな素人を防衛大臣に任命したのが「愛国政治家」とやらの安倍晋三です。
全く能力が無いので、自衛隊が強く要望していたTHAAD配備を蹴飛ばしたり、
日本の為にろくな事をやっていません。
 
なお、北朝鮮がミサイル実験を盛んに繰り返すようになったのは、
日本がTHAAD配備を引っ込めてからでした。
THAAD配備を蹴飛ばした稲田朋美の罪は万死に値するのですが
何らの責任も感じる事なく、
『また、防衛大臣をやってみたい』
などと寝言を述べているようです。
 
現役の防衛大臣時代にも、
オーストラリアやフランスの防衛大臣が女性である事を指して、
『私たちは女性で同世代で可愛いという共通点がある』
などとふざけた挨拶をして、
 
『私は容姿ではなくその能力によって防衛大臣を拝命している。バカにするな!』
 
とフランスの防衛大臣から激怒された逸話が残されています。
 
このように、戦後日本というのは、恥知らずの上に防衛の素人が防衛大臣
または少し前では「防衛庁長官」になっていた国でした。
果たしてこれが本当に「正しい」と言えるのでしょうか?
 
繰り返しますが、いざ戦争が起きた時、
全くの「ずぶの素人」が大臣なのです。
これで果たしてどうやって戦争に勝てと言うのでしょうか。
 
そもそも「文民統制というのはそんなに素晴らしいのかという疑いを抱かねばなりません。
第二次世界大戦にて、ナチスドイツのヒトラーは完全なる「文民です。
その「文民」が、「勝手な思いつき」でプロの軍人を排除して戦争指導を行い、負けまくったのがドイツの歴史です。
 
一方のソ連の指導者であったスターリンも「文民」でした。
文民がプロの軍人を粛清して殺しまくった結果、
または戦争に口を挟みまくった結果が、
冬戦争や独ソ戦初頭でのソ連の大敗北です。
独ソ戦ソ連が勝ち始めるようになったのは、
スターリンが戦争指導から手を引いて、ジューコフなど名将に任せてからです。
 
日本でも文民統制がろくでもない結果を招いた実例がありました。
戦前の人間であれば誰でも知っていた「大楠公」。
 
 
楠木正成(大楠公)は、合戦させれば連戦連勝でしたが、
それは自分に有利な場所とタイミングで戦っていたからでした。
その事情を知らない後醍醐天皇や、後醍醐天皇の寵臣であった公卿、坊門清忠などが、
 
『味方の軍勢は少数ながらも、毎回朝敵を滅ぼしてきた。
それは武士の戦略が優れていた訳ではなく、陛下の御徳が天に通じたから』
 
などと言い出し、楠木正成の進言を聞き入れずに無理やり死地に追いやった結果が、楠木正成の敗死だったのです。
 
なお楠木正成の子である、小楠公楠木正行もまた、
戦争知らずの公卿によって作戦案が許可されず死地に追いやられています。
 
中国の歴史書など、数多の「名将」は居りますが、
戦争知らずの宦官や、皇帝、外戚などに作戦案を却下されたり、
はたまた名将が粛清されてしまい、
結果として大敗を喫した事が山ほど書いてあります。
 
これを見ても解る通り、「文民統制というのは必ずしも正しいとは言い切れないのが歴史の示す所です
日本が帝国憲法で「文民統制を排除したのは歴史を学んだ結果なのです。
 
そして、日本が帝国憲法を制定した当時は、
大抵の国が「文民統制」ではありませんでした。
 
第二次世界大戦に突入してからも、
イギリスとイタリアは文民統制ではなく、職業軍人が戦争指導していたのです。
「戦争体験者」という意味では、ドイツのヒトラーも、空軍大臣ゲーリングも、
フランスの国防大臣だったダラディエ(首相兼任)も、
あのアメリカの陸海長官でさえも、何らかの形で戦争経験を持っている人間が勤めています。
現在日本のような、全くの「ずぶの素人」ではないのです。
 
これは「提言」としたいのですが、
 
外務、文部、厚生、財務、そして防衛省の五つは、
「ずぶの素人」が大臣に就任する事を法的に禁止すべきであると考えます。
出来れば全ての大臣を専門家にして、素人は排除したいのですが、
最低限この5つだけでもまともであれば、
どんなに総理大臣が無能でも何とか日本は生き残る事が出来るのではないかと考えております。
 
逆に言えばこれらの省庁が素人に支配されるような事があれば、
日本は亡国にまっしぐらとなってしまいます。
 
最後に、三島由紀夫の語る「文民統制」の定義を掲げておきます。
本来の文民統制とはこう在るべきです。
 
シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。
しかし英米シヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。
日本のように人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない』
 
稲田朋美のような、自衛隊の事を自民党の私設軍隊であるかのように思っていた素人にこそ、
この三島由紀夫の言葉を拳々服膺してもらいたいものです。
 
誠眞政治政策研究会 玉川 晃嗣