「文民統制」について
戦後はこの反省に立って「文民統制」とされました。
しかし、この戦後の「文民統制」とは、 明らかに異常としか思えないレベルに達しています。
このようにとんでもなく恐ろしい事を語っています。
いざ戦争となった時、 自衛隊のトップは全く防衛や安全保障の門外漢だと言うのです。
「軍部の暴走」に恐れを感じる人々が、
「ド素人の暴走」に全く恐れを感じないのが不思議で堪りません。
そしてこれは民主党政権時代だけの出来事ではなく、
「防衛大臣就任以前には一度も無かった」
日本の為にろくな事をやっていません。
なお、北朝鮮がミサイル実験を盛んに繰り返すようになったのは、
日本がTHAAD配備を引っ込めてからでした。
何らの責任も感じる事なく、
『また、防衛大臣をやってみたい』
などと寝言を述べているようです。
現役の防衛大臣時代にも、
オーストラリアやフランスの防衛大臣が女性である事を指して、
『私たちは女性で同世代で可愛いという共通点がある』
などとふざけた挨拶をして、
『私は容姿ではなくその能力によって防衛大臣を拝命している。 バカにするな!』
とフランスの防衛大臣から激怒された逸話が残されています。
このように、戦後日本というのは、 恥知らずの上に防衛の素人が防衛大臣、
または少し前では「防衛庁長官」になっていた国でした。
果たしてこれが本当に「正しい」と言えるのでしょうか?
繰り返しますが、いざ戦争が起きた時、
全くの「ずぶの素人」が大臣なのです。
これで果たしてどうやって戦争に勝てと言うのでしょうか。
文民がプロの軍人を粛清して殺しまくった結果、
または戦争に口を挟みまくった結果が、
日本でも文民統制がろくでもない結果を招いた実例がありました。
戦前の人間であれば誰でも知っていた「大楠公」。
それは自分に有利な場所とタイミングで戦っていたからでした。
『味方の軍勢は少数ながらも、毎回朝敵を滅ぼしてきた。
それは武士の戦略が優れていた訳ではなく、 陛下の御徳が天に通じたから』
戦争知らずの公卿によって作戦案が許可されず死地に追いやられて います。
中国の歴史書など、数多の「名将」は居りますが、
戦争知らずの宦官や、皇帝、外戚などに作戦案を却下されたり、
はたまた名将が粛清されてしまい、
結果として大敗を喫した事が山ほど書いてあります。
そして、日本が帝国憲法を制定した当時は、
大抵の国が「文民統制」ではありませんでした。
第二次世界大戦に突入してからも、
フランスの国防大臣だったダラディエ(首相兼任)も、
あのアメリカの陸海長官でさえも、 何らかの形で戦争経験を持っている人間が勤めています。
現在日本のような、全くの「ずぶの素人」ではないのです。
これは「提言」としたいのですが、
外務、文部、厚生、財務、そして防衛省の五つは、
「ずぶの素人」 が大臣に就任する事を法的に禁止すべきであると考えます。
出来れば全ての大臣を専門家にして、素人は排除したいのですが、
最低限この5つだけでもまともであれば、
どんなに総理大臣が無能でも何とか日本は生き残る事が出来るので はないかと考えております。
逆に言えばこれらの省庁が素人に支配されるような事があれば、
日本は亡国にまっしぐらとなってしまいます。
本来の文民統制とはこう在るべきです。
日本のように人事権まで奪はれて去勢され、 変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない』
この三島由紀夫の言葉を拳々服膺してもらいたいものです。
誠眞政治政策研究会 玉川 晃嗣